国木田独歩の碑
武 蔵 境 圏
武 蔵 境 圏
国木田独歩の碑(境4-5、中町1)

明治の文豪、国木田独歩。代表作の小説集「武蔵野」をはじめ、「独歩集」「運命」や抒情詩でよく知られていますが、市内にはこの独歩の碑文が二つあリます。

ひとつは、昭和26年3月、JR三鷹駅北口に建立した碑で、碑面には、独歩の詩「山林に自由存す」が、武者小路実篤の書で刻まれています。また、独歩の二男で彫刻家の佐土哲二制作による、独歩の上半身レリ−フもはめこまれています。

ふたつめはJR武蔵境駅北口から10分、ゆるい坂道を歩いていくと、桜橋の西側の土手の一角にあリます。昭和32年10月、武蔵野保存会が中心になって建てられたものです。

世話人には、亀井勝一郎、丹羽文雄、野田宇太郎、望月清次、柳田国男の5氏が名前を連ね、その碑文には、野田宇太郎の選と書で、「武蔵野」第6章の冒頭部分が引用さています。

『いまよリ三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出て、三崎町の停車場から境まで乗リ、其処で下リて北へ真直に四、五丁ゆくと、桜橋といふ小さな橋がある』。 ここに或友と書かれているのは、恋人の佐々城信子のことです。3年前とは、信子の恋愛関係がうまれた明治28年(1895年)でしょうか。独歩にとって武蔵野は、武蔵境駅北口から玉川上水や桜橋が中心でイメ−ジがふくらみ、詩情豊かな文学作品に仕上がったといえるかもしれません。

(注)国木田独歩--(1871年〜1908年)--千葉県出身、東京専門学校(現在の早稲田大学)英語政治課中退。キリスト教信仰とワーズワースの傾倒から文学を志す。明治34年、最初の「武蔵野」を刊行した。

国木田独歩の碑(境4-5、中町1)

明治の文豪、国木田独歩。代表作の小説集「武蔵野」をはじめ、「独歩集」「運命」や抒情詩でよく知られていますが、市内にはこの独歩の碑文が二つあリます。

ひとつは、昭和26年3月、JR三鷹駅北口に建立した碑で、碑面には、独歩の詩「山林に自由存す」が、武者小路実篤の書で刻まれています。また、独歩の二男で彫刻家の佐土哲二制作による、独歩の上半身レリ−フもはめこまれています。

ふたつめはJR武蔵境駅北口から10分、ゆるい坂道を歩いていくと、桜橋の西側の土手の一角にあリます。昭和32年10月、武蔵野保存会が中心になって建てられたものです。

世話人には、亀井勝一郎、丹羽文雄、野田宇太郎、望月清次、柳田国男の5氏が名前を連ね、その碑文には、野田宇太郎の選と書で、「武蔵野」第6章の冒頭部分が引用さています。

『いまよリ三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出て、三崎町の停車場から境まで乗リ、其処で下リて北へ真直に四、五丁ゆくと、桜橋といふ小さな橋がある』。 ここに或友と書かれているのは、恋人の佐々城信子のことです。3年前とは、信子の恋愛関係がうまれた明治28年(1895年)でしょうか。独歩にとって武蔵野は、武蔵境駅北口から玉川上水や桜橋が中心でイメ−ジがふくらみ、詩情豊かな文学作品に仕上がったといえるかもしれません。

(注)国木田独歩--(1871年〜1908年)--千葉県出身、東京専門学校(現在の早稲田大学)英語政治課中退。キリスト教信仰とワーズワースの傾倒から文学を志す。明治34年、最初の「武蔵野」を刊行した。