武 蔵 境 圏
うど橋の由来(境4-5)

玉川上水を渡る橋のうち、桜橋と境橋のちょうど中間にかけられているのが、うど橋です。戦後、玉川上水をはさんで住宅が急増し、第二小学校の通学路として、新しい橋の増設を訴える声が高まりました。

そこで昭和40年にうど橋が完成しました。このとき橋の名称をめぐって、さまざまな意見か出されました。もみじ橋、黒松橋などの案もあったそうです。
うどというのは、シャキシャキした歯ごたえで、サラダにしても酢の物にしてもおいしい野菜てす。

全国のうどの6割を束京で生産し、しかも東京の生産高の約1割は武蔵野で収穫したものです。元祖は吉祥寺うどですが、いまや市全体の特産物になっていて、うどの名前をどこかにとどめたいと願う市民の気持ちが、橋の命名につながったというわけです。昭和42年には地元有志によって橋の名前の由来を刻んだ、うどの碑も建てられました。場所は、うど橋の東詰めです。

橋は長さが10.92m、幅6mです。うど橋の名称は、市の名産 〃うど〃 を、いつまでも市民の胸の中に刻んでいくことでしょう。

(注)武蔵野市史のなかに、河田家古文書の引用文として、「うどは吉祥寺村の特産品として盛んに栽培され、明治13年(1880年)の第二回全国勧業博覧会には、当地方の代表品目として出品」と記されています。