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武 蔵 境 圏
石橋供養塔(関前4-17-7)

千川上水と五日市街道が交差するところに石橋がかかっていて、その橋のたもとには石橋供養塔と文字で彫った小さな石塔が、ひっそリ建っています。高さ94p、幅21p、厚み15pの一枚石を刻んだものです。よく見なければ見過ごしてしまいそうな供養塔が、なぜ、この場所にあるのでしょう。

昔、橋というのはただ通るためだけのものではなかったようです。道の辻や峠などと同じように、霊魂の宿る神聖な場所でした。橋を新設するときは必ず供養をし、村人の健康と橋の安全を祈っていました。元禄9年(1696年)千川上水が開発されると、この五日市街道から千川を横切るためには橋をかけるしかあリません。

そのとき関前村名主、井口八郎右衛門春盛の指揮で初めて橋がかけられました。ところが当時から往来の激しかった五日市街道のこと。
しばしば修復を重ねなくてはなリません。そこで井口八郎右衛門義克は村民の考えを聞き、ついに石橋にかけかえることを決意しました。天保12年(1841年)8月、完成させました。悪霊の侵入を防ぎ神を慰める石橋供養塔も、忘れずに建てたというわけです。

(注)石橋のかけかえは関前村の意志でしたが費用は他村の助成を得て完成しました。道や橋など公共施設は、他村と分担することがよくあり、安政5年(1858年)四軒寺付近の道路開設にも、助成の勧化帳を村々に回覧しています。


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