武 蔵 境 圏
千川上水清流復活記念碑(関前5)

千川上水は河村瑞軒が設計し、仙川村の徳兵衛と太兵衛に工事を任せて元禄9年(1696年)に完成しました。
神田、玉川、青山、三田の各上水につづき最後に造られた江戸5大上水のひとつです。

この功績によって2人には千川の姓が与えられたと聞きます。当時上保谷新田から巣鴨村までの約22.3kmを、玉川上水から分水していました。千川上水が造られた目的は、将軍家の御成御殿に上水を引くことです。小石川白山御殿、湯島聖堂、上野寛永寺、浅草浅草寺の4ヵ所です。
宝永4年(1707年)以降は流域農民の嘆願によってかんがい用水としても使用されました。

明治に入リ王子駅に大蔵省印刷局ができると、千川上水の余水を利用した紙幣製造がはじまリ、昭和46年4月工業用水にかわるまで、つづきました。こうして歴史的に意義のある役割を果たした千川上水でしたが、宅地化がすすみ、路面に出ている川は交通の妨げになって下流域では暗渠化されていきました。清流の復活を悲願する武蔵野市民は玉川上水についで通水を実現し、平成元年には記念碑が建立されています。

(注)千川上水の清流復活記念碑は、境橋のたもとに建っています。千川上水は昭和46年にその役目は終わりましたが、平成元年3月に境橋近くから5kmにわたり通水を開始しました。自然石に清流復活を刻んだ碑が、緑に映えています。