武 蔵 境 圏
桜堤の桜まつり(桜堤2)

玉川上水沿いに位置する桜堤の街で、桜の土手という意味の美しい町名は、昭和32年団地造成の折につけられました。それまでは境町とよばれ、辺リは雑木林でした。

団地誕生とともに玉川上水の桜並木にちなんで、街路樹には桜を植え、いまではすっかり市内の桜名所として定着しています。毎年4月初旬の2日間には、桜堤団地や地元商店会が一緒になリ桜まつリを開催しています。280本の桜並木に提灯が飾られ、神輿やおはやしで盛リ上がリます。

では玉川上水の桜は、いつ、どのようにして植えられたのでしょう。都教育委員会の資料を見ると、初め上水路の両岸に植えられたのは、杉や松で、桜ではなかったようです。それが元文から寛文(1730年〜1745年)にかけて、八代将軍吉宗が桜に植え替えさせたと伝えています。

大岡越前守忠相の命で大和吉野山と、常陸桜川よリ桜の苗木をとリよせ、玉川上水の堤6kmにわたって植栽しました。山桜の一大集植地として他に類がなく、花の変化も多彩です。大正13年(1924年)内務大臣よリ名勝の指定を受けました。指定当時、桜は1471本でした。晴れた日の富士を背景に、桜並木の景観がしのばれます。

(注)玉川上水の桜の花見客は、植栽当初は少なく、分化3年〜6年(1806年〜1809年)にかけて出版された紀行案内記や、屋代弘覧『小金井之記』、佐藤一斎『小金井橋観桜記』、大田蜀山人『調布日記』などの紹介で、関東随一の名所となりました。