「はらっぱのむさしの」の愛称で親しまれている都立武蔵野中央公園。スポーツ広場のある原っぱのまわリには、風を見る丘や日時計、ロマンチックな風見鶏など、外国にいるような気分です。10万uの敷地、約1万4000本の樹木があります。 緑陰のオアシスの背景には、市の歴史が深く刻まれています。 かつてこの地は、零戦、隼など戦闘機用エンジンを作っていた中島飛行機武蔵製作所のあったところ。昭和13年、工場が開設されると軍の需要は日ごとに高まリ、工場敷地も広がリました。いまの陸上競技場、市役所、緑町公団住宅、中央公園、そして八幡町旧都営住宅の辺リまであったようです。連合軍から徹底的にマ−クされ多くの犠牲者が出ました。そして終戦。工場は解体しましたが、その跡地には、29年に立川基地で働くアメリカ軍の将校家族の宿舎が建設されました。 市民のなかで芽生えた米軍宿舎返還運動。市と市民が力を合わせ、やっと46年に返還は実現しました。53年から跡地は公園として市民に開放され、整備計画の具体化にしたがい、原っぱを残してという市民の声で、新公園が誕生したのです。
(注)昭和16年太平洋戦争が始まると、中島飛行機製作所で作った戦闘機用エンジンは日本の航空機の約30%を占め、昭和19年〜20年の敗戦まで、武蔵野町は東京大空襲の最大目標となり、1,000名近い死傷者が出ました。
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