中 央 圏
御門訴事件記念碑(八幡町3-8-1)

五日市街道西側の道路ぞい。八幡町3丁目の一角に御門訴の碑があります。この慰霊碑は高さが2m、幅1mで寄りそうように枝を伸ばす松の古木が、事件の哀しさを物語っているようです。

明治3年(1870年)1月10日夜に、蓑笠をまとった数百人農民は、社倉制度の反対を直訴するため当時日本橋浜町にあった品川県庁へ向かっていました。
この制度は将来の凶作に備え、全農民に米か金で供出を強要したもの。農民たちの反対理由は、作物の実りにくい土地柄で将来どころか今日の食べ物にも不自由していたとのこと。

集まった米や金は県の一括管理で、農民に還元される保障が無かったこと等でした。門訴というのは門前で嘆願をするもので、門内に入れば厳罰に処せられました。しかし門内に人らなかったにもかかわらず、農民たちの多数が逮捕され3人が犠牲の死を遂ばました。

門訴から8年、品川県社倉金は村々へ還付され、明治27年にその一部で記念碑が建立されました。村人の思いを後世に伝えるためです。昭和55年3月、市文化財(郷土資料)に指定されました。

(注)御門訴事件記念碑の碑文の作者は中島信行。明治7年(1874年)1月から同9年4月まで、神奈川県知事をつとめました。のちに自由党副総裁となり、民衆運動に強い共感を示しました。